まつけつの仮釈中日記

おまつの仮釈中日記

大麻の密輸で懲役6年半務めた僕の回顧録的なブログ

受刑者が持たざる移動の自由とは

先日、友達が東京で舞台に出るというのですぐに東京に行った。

すごく簡単だった。

 

月末には、温泉に行きたいから近隣県の温泉に足を運ぼうと思う。

これもまた簡単なこと。

 

 

他にも行きたい場所はたくさんある。

色々な場所へ行って、色々な経験をしたい!

 

そこで少し考えてみた・・・

 

 

 

 

そのたくさんの行きたい場所に、すぐに行けない理由って何かあるだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

改めて考えてみると、すぐに行けない理由なんてない。

行こうと思えば間違いなく行ける。

だってどこかへ移動するのは俺の自由なんだから。

 

 

 

じゃあ、行きたいのに行かない理由は何かあるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それはある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事があるから行けないと言い、

日程の都合をつけようとせず、先延ばしにしている。

旅費がないから行けないと言い、

旅費なんて数ヶ月もあれば貯められるはずなのに、貯めようとしていない。

 

 

つまり、行こうとしていないから行っていないわけだ。

 

 

 

それって本当にもったいない。

だって、移動はいつだって自由なんだから。

それに、移動を実現しようとしていない以上、その思考には価値がない。

だとしたら、行きたいって思い続けてることが時間とエネルギーの無駄になる。

いつか行くかも、機会があれば・・・とかそういうのは無駄。

思ったのならすぐに段取りして行けばいい。

行こうとしないのなら思う必要がない。

 

 

 

だから、自分の中で行きたい場所について考える時は、

「行きたい場所があるか?」じゃなくて、

「行こうとしている場所があるか?」という問いに変えた方がいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたには今、行こうとしている場所がありますか?

 

 

 

 

 

 

 

 

こう聞かれると、あれ?と引っかかる。

行きたい場所ならたくさんあるけど、

行こうとしている場所はないかも、と。

 

 

 

でも、そう思ったのならそれはチャンス。

 

 

 

行きたい場所を、行こうとしている場所に変えてしまえばいい。

 

 

 

行けない理由って、なんかある?

ネット予約でもして移動手段を確保すれば、すぐにでも行ける。

だって移動は自由じゃん。

 

 

 

移動が自由なのは、俺自身が日々の生活の中でついつい忘れてしまいがちなことなんだけど、

めっちゃくちゃ重要なことだと思う。

 

 

 

だって、自由の根幹じゃんこれ。

経済的自由も身体的自由も、精神的自由も、移動の自由があってこそ最大限に価値を発揮できる。

なんなら、これら全ての自由は、移動の自由を行使することで得られるものだったりする。

 

 

お金がありあまるほどあっても、行きたい場所に行けないんじゃ、ずっと同じ場所で生活するしかない。それって使いたいことにお金使えなくない?

 

身体が自由でも、行きたい場所に行けないんじゃ、ずっと同じ場所で生活するしかない。それって身体の自由持て余さない?移動できないんだよ。

 

精神が自由でも、行きたい場所に行けないんじゃ、ずっと同じ場所で生活するしかない。どんだけ心は自由だって強がっても、そんな生活って実際は精神の衛生状態最悪じゃないか?

 

 

つまり、人間は自由に移動することで、他の全ての自由を手にすることができるわけだ。

 

 

何をするにしても、移動することが最初の一歩となる。

もちろん大前提として考える頭は必要なんだけど。

 

否定的な言い方をするなら、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

移動しないやつは、自由を手に入れられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、俺は今、どこに行こうとしているかな。

次はいつ、どこに行くのか。

先延ばしにして時間とエネルギーを無駄にしている場合じゃない。

 

 

 

こう思うようになったのも、全く移動が自由でない刑務所という狭い場所で6年間過ごしたからで、この自由の恩恵を手に入れた今に心の底から感謝しているから。

 

あの頃なんて、3畳一間の施錠された窓の外の景色もよくわからないような密室で、

るるぶ東京』を見て、

あー東京行きてぇー、六本木で遊びてぇーって思いながらほんとに泣いてた(笑)

 

この先6年間、この3畳一間から出られません。って言われた時のショックときたらもう・・・

1年経っても、2年経っても、3年経っても、4年経っても、5年経っても行きたい所に行けなかったフラストレーションたるやもう・・・想像できる?(笑)

 

 

こんなに簡単に東京まで移動できる今の日々が俺は幸せ。

自由に移動できるって本当に素晴らしいこと。

これこそが自由!!!

 

 

 どこにでも行ける!すぐにでも!!!

 

 

 

ね(川≦ °  )

刑務作業を通じて学んだ仕事の生産性の上げ方

刑務所で行う仕事は刑務作業と呼ばれ、

その作業の対価として、国から作業報奨金というものがもらえる。

 

要するに、刑務所での労働にもしっかりと時給が発生するということです。

 

おそらく、刑務所を知らない人が気になるのは、どんな仕事があって、一体いくら給料をもらっているの?

ってとこだと思うけど、ほんとに色々な作業があるからぜひググってみてほしい。

 

給料に関して言うと、俺なんかは初月の時給が確か・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2円

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だったはず。

雀の涙って言葉を初めて使ったくらい衝撃的な時給だった。

しかも2円の後に44銭とかっていう、見たことのない単位で時給が発生していたのを今でも覚えている。

 

その時たしか、こらえきれずに刑務官に質問してみたんだけど、

 

 

ま「す、すみません。銭ってなんですか?僕は銭をもらえるんですか?」

 

刑「ばかおまえ、銭は100銭で1円になるんだろうが。1円になったら使えるようになるんだからそれまで待っとけ」

 

 

という回答を得て、深く納得した覚えがある(笑)

純粋に、ああ、なるほどねって思ったもんな。

 

 

そんなこんなで、懲役生活5年3ヶ月、平日はほとんど休まずに毎日朝から晩まで働いて貯めた作業報奨金を、出所時に国からもらったわけだけど、その額なんと、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

25万円

 

 

 

 

 

 

 

 

 

友達に話したら、結構あったんだねって言われることも多いんだけど、よく考えてみてほしい。

単純に割っても年収5万円⇛月給4000円⇛日給200円。

これって結構多いのか!?

俺としては、え、これ大丈夫!?俺はこの資本主義社会で本当に社会復帰できるのか!?って不安になる金額だったのだが。

 

結果的には無事に社会復帰できてるんだけど、それも家族や友人のたくさんの援助があったからで、一人でなんとかしろって言われたら結構厳しかったんじゃないかな。そうなったらそうなったで国が用意している様々な制度を利用して、しぶとく生きていたんだろうけど。

 

 

そんなこんなで、社会生活を営む多くの人達と同じように、俺も長年フルタイムで働いてきたわけで、仕事について考える時間は割と多かったと思う。

 

そこで、俺が刑務所での仕事を通じて学んだことを、簡潔に言ってみたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

仕事は、仕事から価値を見出そうとするんじゃなくて、価値を設定してからすべきもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺はまあ大体、ハンガーのシール剥がしとか、スプーンの袋詰めとか、ビニール袋にチラシを入れるとか、紙袋を作るとか、鶴を折るとか、そういう迫力のある仕事を刑務所の中でやってきたわけなんだけど、

 

 

控えめに言っても、あれはやっぱり無駄な時間だったなぁと思う。

 

 

自分にとって価値のない仕事を、どれだけ努力して数こなしたところで、何も生まれなかったし、何も得られなかった、と今でもはっきりと言える。

 

無駄に思える膨大な時間を過ごしたことで、仕事とは、

 

仕事から価値を見出そうとするんじゃなくて、価値を設定してからすべきものだ、と身にしみて思った。

お金を稼ぐためにこれをする、貧しい人々の助けになるためにこれをする、世の中のここを変えるためにこれをする・・・等々。

自分がすべきでない仕事から、価値を見出そうとする時間は非生産的。

しかもそういう時って、どんな価値があるのかわかっているからこそ無駄だと感じてるわけで、価値を見出そうとする行為はただのこじつけに過ぎない。

 

 

 

 

だから俺は、そういう非生産的な時間は過ごさずに、自分にとって価値がある仕事しかしない。

仕事も人生も、常に生産性上げまくっていきたいからね!

 

 

 

 

限りある人生の時間、仕事を通して得られるだろう価値を設定してから、その価値を得るために本気で努力して仕事をすべきだと、刑務所での膨大な無駄な時間を過ごしながら感じたのでした。

 

 

 

 

 

 

ね(川≦ °  )

犯罪者が実践する信用回復メソッド

21歳で大麻を密輸し、懲役6年半の実刑判決をくらい、

5年以上も受刑生活を過ごした俺の信用について考えてみたい。

 

一言で言おう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

信用なんて、ない。

法を犯して罰を受けたという過去により、社会的な信用は地の底にまで落ちたし、

家族や友人の俺個人に対する信用も失ってしまった。

 

どんなに破天荒に生きようとも、一線を越えてしまうのとしまわないのとでは大きな違いがある。

 

一線を越えてしまった俺は、周りから見るとやはり注意や差別の対象となってしまう。

 

そこはもう仕方がない。

だって一回やっちゃってんだもん。

 

なので俺は、

 

 

犯罪者は、他者から疑われる存在である。

 

 

ということをしっかりと認識しなければならない。

ここを否定して生きるのはただの自己正当化に過ぎず、これこそまさに犯罪者が犯罪を犯す時の心理状態なので許してはいけないとこ。

もう罪は償ったんだし・・・などと言って甘えてはいけない部分。

 

これを大前提として、では、そのような人間はどう生きればよいのか?

もう元には戻れないのだろうか?

ただただ自分にとって不利益な事実を受け入れて、粛々と生きていくしかないのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

いやいやいや、簡単です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰よりも真面目に生きていけばいいんですよ。

誰よりも素直に生きていけばいいんですよ。

どんな時でも周りの人への感謝を忘れず、それを言葉にしていけばいいんですよ。

そんでもって、何か努力をして、周りが納得するような結果を残せばいいんですよ。

 

そして最も重要なのが、

 

 

 

 

 

自分のことを大切にしてくれてる人を裏切んな。

 

 

 

 

 

ってこと。

信用が地の底にまで落ちた人間に手を差し伸べてくれる人間を大切にできないんじゃあ、失った信用なんていつまでたっても取り戻せない。

 

何かあった時にいの一番に疑われるのは俺。

そんな時に俺を助けてくれるのは周りの人たちでしかない。

 

俺の信用が俺を救う、なんて自分本位な言い方はしたくないけど、俺のことを少しでも信用してくれてる人を大切にすることで、自分が救われるっていうならそれは納得できる。

 

 

 

 

だから、どんな理由であれ周りからの信用を失ってしまった人っていうのは、

誰よりも誠実に生きていくべき。

人を裏切らない、真面目で素直な人間であるべき。

狡猾さなんて捨てて、愚直に生きていくべき。

 

そうして初めて、失った信用を徐々に取り戻し、やがてはプラマイゼロの所まで到達できるんじゃないのかな。

 

 

 

さて、今の俺はどうだろう?

俺に手を差し伸べてくれている人たちを大切にできているだろうか。

失った信用を少しでも取り戻すことができているのだろうか。

 

 

 

何かひっかかったのなら即行動。

軌道修正していきます。

 

 

 

ね(川≦ °  )

彼女いない歴6年半の俺が語る交際論

「彼女いるの?」

 

 

 

と、出所してから本当によく聞かれる。

 

もちろん嘘偽りなく、「いません」と即答するんだけど、

さすがに、

 

 

 

「6年半彼女いない」

 

 

 

って言うと驚かれるので面白い(笑)

 

ま、通常、健全な28歳が6年以上も彼女がいないってなると、え、どういうこと!?ってなるのも不思議じゃないんだけど・・・

 

 

 

 

 

 

 

俺の場合、刑務所に居たので約6年ほど女性に接してすらいませんから(爆)

 

 

 

 

 

 

ちなみに逮捕された当時は彼女が居たんだけど、残念ながら自然消滅してしまった。

その子に対する未練とか、やり直したいって気持ちはないから、別に引きずってるわけではないんだよ?

 

そうじゃなくて、もう固く決めてるんです。

 

 

 

 

 

彼女は作らない、と。

 

 

 

 

 

基本的に物事って、現状維持の先に進むとそこには選択肢が2つしかない。

 

彼女を作る、つまり、

誰かと付き合うと、現状維持の先に2つの選択肢が生じる。

 

付き合う⇛①結婚する

      ②別れる

 

で、ここから逆算する。

①の結婚については、俺は生涯独身で結婚したくないと思っている。

②の別れるについては、どうしても別れを経験したい!なんて思ったことがない。思うわけもないし。第一別れたいから付き合うって、なんかそれはやばいやつ。

 

となると、もう答えは明確で、付き合う(彼女を作る)理由がなくなるわけ。

付き合うこと自体に意味を求めることもできるのかもしれないけど、俺は先に進めない現象には興味がない。

 

なので、俺は彼女は作らないと毎回はっきり言うわけです。

例えそれが合コンの場であっても平気で言う。

「彼女?作らないって決めてます」と。

なんだこいつ何しに来た!?って思われてるんだろうけど(笑)

 

 

もちろん過去には何人かの女性とお付き合いしてきたから、それなりの経験はあるわけです。

けれどもそこから得た教訓って、やっぱ費用対効果がめちゃくちゃ悪いってことで、あの経験を再現しようとはさすがに思えない。

 

俺の場合はって前置きをするけど、具体的には、

彼女に使うエネルギーがあまりにも大きすぎて、他のことがめちゃくちゃおろそかになってしまう。

小さなことで不安になって、精神の安定を損ねてしまう。

自分を犠牲にしてまで彼女の要望を叶えてあげたいので、自分の成長が止まってしまう。

 

 

等々、プラスを大きく上回るマイナスが生じてしまってたのね。

 

うーん、ただただ人間としての未熟さが浮き彫りになってしまってるなこれは・・・(笑)

それでも、そうなってしまうってわかってるから対策を講じているわけで、俺自身の選択としてはベスト。

 

ちなみに、じゃあその未熟さ改善すれば?とか、そんなくだらないことは言わないでほしい。

改善して上記のマイナスを解消したところで、得られるプラス面にすらもはや興味がないから。

 

 

そんな感じで、今は彼女に使うエネルギーを他の部分に使えているのですごく気持ちがいい。

恋愛に使うエネルギーを遊びや仕事に使えるってのは、俺の生き方にはすごくマッチしてるみたい。

 

 

どう考えるかはその人の自由だけど、

俺の体感として、恋愛について余計なエネルギーと時間を使ってる人がどうも多い気がする。

それって本当に必要なの?

自分にとってトータルプラスなの?

今、他を差し置いてまで何よりも優先すべきものなの?

 

その恋愛に使ってるエネルギーと時間を他に使えば、

めちゃくちゃ人生の生産性上がる気がしない?

 

俺はそう思うから、彼女は作らないって決めてる。

 

 

 

 

 

ってことを、「彼女いるの?」のくだりから延々と説明するのが俺の日常です(笑)

 

 

 

 

 

ね(川≦ °  )

懲役で学んだ人生が好転するたった1つの技術

逮捕され、留置場に入り、拘置所に行き、刑務所で務めて・・・

あんまり誇張したくはないけれど、正直心が折れまくるくらい辛い時期が何度もあった。

 

そんな時に、救いの手を差し伸べてくれたのは、気持ちを切り替えさせてくれたのは、前を向かせてくれたのは、何を隠そう、言葉でした。

 

 

留置場にある本を読めば、

そこに書かれてある言葉に希望をもらうことができた。

弁護士が面会に来てくれれば、

力強い言葉に勇気をもらうことができた。

家族や友人からの手紙を読めば、

思いやりに溢れた言葉から安心感をもらうことができた。

 

 

言葉がなかったら、たぶん俺、絶望しきって死んでたと思う。

それぐらい言葉に救われた。

 

 

結局ね、、、

 

 

 

 

”言葉は力だ”

 

 

 

 

ってことですよ。

 

どんな時でも、言葉を発していくことで、誰かに影響を与えることができる。

黙ってちゃいけない。

黙ってる間は、誰にも、自分自身に対しても力のない存在になってしまう。

 

 

 

 

 

 

とにかく言語化すること

 

 

 

 

 

 

これが最も効率の良い意思伝達方法だし、第三者への影響力もとても強い。

 

つまり、黙ってたってなんにもわかんないよ?ってことなのである。

 

反対に、喋ってたらわかるんです。

喋ってたら伝わるんです。

だから、喋らないといけないんです。

 

目の前に喋る相手がいないのなら、手紙を書けばいい。日記を書けばいい。ブログを書けばいい。

 

 

とにかく言葉にして、アウトプットすること。

 

その成果として、自分と向き合い成長することができるし、

他者に対しての影響力を持つこともできる。

それが生きてるってことだと俺は思う。

 

 

 

 

よく考えたら、言葉ってただ。

何言ってもお金を取られることなんてない。

 

だったら出し惜しみせずにどんどん喋ってしまえばいい。

ありがたいって思ったらありがとうって言ったらいいし、悪いと思ったらごめんって言ったらいいし、好きなら好きって言ったらいい。

てか、言わないといけない。

言わなきゃ生きてないのと一緒じゃんか。

 

 

だから、マイナスな言葉は飲み込んで、あとは全部言っちゃおう。

自分がマイナスじゃないって思った言葉を飲み込む理由なんてないんだから。

俺らは生きてる以上、

自分の脳から、身体から、言葉を生み出し続けなければいけない。

 

 

 

黙っちゃいけない。

 

 

 

振り返れば、最近の俺は黙りすぎてて、全然生きてる感じがしなかった。

誰かに良い影響を与えてられているか?って考えた時に、言語化をしてなさすぎて自分に価値を感じられなかった。

自分自身に投げかける言葉もあまりに少なくて、少しマイナス思考にもなってた。

 

 

そこで気がついた。

 

 

 

黙ってたら人生は負のループに入るんだ、と。

 

 

 

言語化って、頭を使う人間らしさの象徴のような作業だから、

これを怠ると人間としての人生がマイナスに傾いていくのも納得できるなと。

 

 

 

だから俺は言語化することを常に意識して生きる。

俺の言葉がいつか力をもって、俺自身と、周りの人たちに良い影響を与えられるって信じてるから。

 

 

 

ね(川≦ °  )

刑務所に入っていたことを忘れてしまう恐怖について

ブログを書くのなら、これから記事を積み上げていくのなら、明確にしておきたいことがある。

 

それは、

 

 

 

 

 

 

 

このブログの専門性はなんなのか

 

 

 

ということ。

ただの一般人が日常をつづったところで、なんの発信力もない。

数多あるブログの中に埋没するだけである。

 

 

そこで必要となってくるのが専門性なんだけど、専門性をどう使うのかってのはその人次第で、、、

 

①専門的な内容をつづることで価値を創出する。

②専門的な立場から物事を分析することで価値を創出する。

③専門的なことに取り組む過程をつづることで価値を創出する。

 

ざっとこんなとこだと思うけど、じゃあ俺にできる専門的な価値の創出方法は何?と考えてみると、どうも①のような気がしてる。

 

資格もなけりゃ就職経験もほぼないし、専門的なことを学んだ経験も特にない。

ただ、俺は28歳にして6年近く刑務所に居た

 

この経験を活かすことなら、今の俺にでもできる。

つまり、ブログに刑務所での経験をつづっていくことで、読者に、世間に、塀の中の世界を少しでも知ってもらうことができるのではないかと思うわけである。

 

 

というのは建前で、本音は俺自身のただの備忘録。

あの社会の底辺での、地獄のような日々を忘れたくない。

出所10ヶ月目にして既に忘れ始めている自分に気がついているから・・・

 

 

正直怖い。

 

 

あんなに辛かったことを、もう忘れようとしているのか、俺!?

 

 

ということなので、これからちょくちょくブログにあの地獄のような日々の一部始終を書き留めていこうと思います。

 

 

ね(川≦ °  )

なぜ俺は逮捕されたのか。地獄の夏談義を添えて

俺は2012年の1月に大麻を密輸入したとして、成田国際空港緊急逮捕されました。

 

 

そのまま大麻取締法違反、並びに関税法違反の罪で実刑判決。

 

 

 

 

 

 

 

 

懲役6年6月の刑に処されました。(罰金とか追徴金もあった)

 

 

服役期間は2012年7月31日~2017年10月31日までで、2017年の11月1日に仮釈放となり、今は晴れて社会生活を満喫中という事なのですが・・・

 

 

本当に楽です。

まず、リアルタイムで思うことに夏の過ごしやすさがある。

 

比較してみようか。

まず刑務所の夏。

・冷房なし

・扇風機なし

・居室にいる間のみうちわ使用可(使い回しなので穴があいてたりする)

・運動中、トイレ中はなぜかうちわ使用不可

・生活空間は基本的に3畳一間の密室でひたすらに蒸し暑い(通気口とかはあるけど)

・↑窓はあるけど開くのは10センチくらい

・↑夜間に窓を開けると立て付けが悪すぎて虫が大量に部屋に侵入してくる(刑務所は常夜灯が本を読めるレベルの明るさ)

・↑必然的に寝ている間は窓を開けられず、必ず暑さで数回目を覚ます(窓開けてたらハチとか入ってくるから終わり)

・刑務作業中は半袖の肌着を着用した上に長袖の作業着を着用、下は長ズボン

・↑もちろん冷房なし

・↑扇風機はあるけどなぜか風を直接あててはいけないという決まりがあるらしく全て上を向いていて無意味

・昼食時は狭いスペースに何十人も詰め込み、保温器であっつあつに保温された激熱飯を肩を寄せ合って食べるため、全員服がビチャビチャで塩が浮くくらい汗をかく

・風呂上がりに涼む時間がないため、風呂で体をきれいにした5分後にはもう汗だくで、服もビチャビチャ

 

 

とまあとりあえずこの辺にしておくけど、

まあひどかった。本当に暑かった。

本当に本当に暑かった。

思い出しただけで暑い。

 

俺はそんな夏を5回も過ごした。

 

となると、本当に社会の夏はイージーモードとしか言いようがなくなります。

もう比較しなくていい。刑務所の夏をざっと箇条書きしただけで十分。

 

本当に本当に暑かった。

 

だからこっちの夏で苦しいと思うことがない。

そんなに汗をかき続けることがないし、

汗かいてもすぐに乾かせるし、

一日中汗かいて、汗がひく時間がなくて、ビチョビチョの服をずっと着て、そのまま寝なくていいし、

暑すぎて目が覚めることもないし。

 

とにかくこんなんで暑い暑いって言ってへばるなんてことがなくなっただけでも俺は成長したと思う。

 

 

 

俺は刑務所の夏を経験したことで、夏を余裕で過ごせる人間に成長した!

マジでぬるいな~こっちの夏!

 

 

 

俺のこの思いを、『気温に左右されない強さ』と、かっこいい言葉にしておこう(笑)

 

 

 

ね(川≦ °  )