意見をコロコロ変える人が正しい理由
今日はあるあるな話を一つ。
俺は割と気が変わりやすい方で、
直前に決めたことを撤回して、全く違う判断をすることが多々ある。
そういう時、周りの人間の反応は以下の2つに大別される。
①「どっちなんだよ」と呆れる。
②「意見を変えるな」と意見の変更を否定してくる。
他にも、理由を聞いてから提案をしてきたり、好きにすればいいじゃんと見守ってくれたりという反応があるけど、
今回は上記の2つの反応についてピックアップしたい。
なぜなら、上記の2つの反応を取られた時は、
俺自身不安になることがほんとにたまーにだけどあるから。
呆れられた時は、
意見や決定が二転三転することにより、信用を落としているのではないか、という点について、
否定された時は、
自らの判断に間違いがあるのではないか、以前の判断の方が正しいのではないかという点について、
不安になることがある。
意見や判断が変わる要因というのは、ささいなことから決定的なことまで、とても幅が広く、正直全てを把握することはできない。(気温や気圧、座っている椅子の硬さでさえ、判断に影響を与えていることに俺たちは気づいていない)
なので、実はその時には全く意識していなかった外的要因に左右され判断を変えた結果、物事が悪い方向に進んでしまっていることもあるかもしれないのだ。
(そうなると、当人は論理的な理由で判断を変えたとしても、実は違う理由で変えてたかもしれないんだよきみ、気づいてないと思うけど。って話になる。怖い)
ま、原因がなんであれ、
周りの人間に呆れられ、否定された判断がもたらした結果が悪いものであれば、
「ほらな」
「だから言っただろ」
って言われることになるんだけど、
こんなのはほんとウルトラスーパー結果論で、もしうまくいってたらこの人たちはなんと言っていただろうか。
なんも言わないか、、、
皮肉を言うか、手のひら返して賞賛するか。
何が言いたいかと言うと、
反応が予測できるので、もうこういうことを言う人たちはゲームのコンピュータキャラと一緒だってこと。
コンピュータが言ってることなんかボタン連打でスルーするよね?
つまり、信じるべきは、
自分自身で責任が取れる、その時の自分の最新の考え。
だってその考えって、最新の自分の、
今までで一番経験値の多い自分の意見なわけでしょ?
過去の自分の方が間違いなく経験値は低いはず。
だったら最新版にアップデートされた自分の意見を採用する方が賢いよね。
間違っていようが正しかろうが、そこはほんとにどっちでもいいんだって。
予測の確度を上げる努力は必要だけど、
個人の判断においてそんなもの誤差でしかないから!
他人の判断の方が確度が極端に高いなんてこともそうそうない。
もしそういうことがあったとしたら、その人たちの伝え方はめちゃくちゃアップデートされてるから、不安になったりせずに素直に採用することになるから安心して。
だから、世の中あるあるに対する基本的な選択としては、
今の自分の判断を信用して、それに対して全責任を持つ!!!
これに尽きる。
そんでもってその後で、
〝あの時の判断〟についてのフィードバックをすればいいわけだ。
そしたらまた経験値が上がる。
そしてまた、その時の最新版の自分の判断を信じて採用する。
この繰り返しでいい。
俺はこう決めてるから、
他人の戯れ言に惑わされなくて済む。
人に相談する必要もなくなる。
そしたら時間が節約できて、その分自分の思考を洗練させるために時間を使うことができる。
うーん、良いことしかない。
超オススメです(笑)
ね(川≦ ° )