刑務所で実感した夏休みの宿題理論の威力
質問です。
あなたは学生時代、夏休みの宿題を始めの1週間でやり終えていましたか?
もちろん俺はNO。
NOの中のNO、トップオブNO。
最後までNOを言い続けて、最終的には「宿題をなくした」なんて言い訳をして、やらないという選択をしたりもしていた。
そんな怠け者の俺とは違って、与えられた宿題を早々に片付けてしまう、計画的で実行力のある人も少なからずいたとは思うんだけど、、、
え、てか、そんな人ほんとにいるの???(笑)
多くの人にとって、この質問の答えはNOのはず。
理由は明確。
人は、定められた時間をいっぱいいっぱい使ってタスクをこなすようにできているから。
10分でできることでも、1時間与えられれば、
丸々1時間を使って同じことをしてしまうから。
期限を定める必要性は、これまでの人生で何度も思い知っているはずの重要事項なんだけど、
それを最も鮮明に感じた出来事が、やはり刑務所にいた6年の間にあったわけで。
一昔前までは、一獄一語と言って、刑務所に入ったら一つの言語を覚えて出てくるべし!という習わしのようなものがあったらしい。
思想、政治犯というような、今ではなかなか考えにくい罪状で刑務所に収監される人も多く、そういう人たちは比較的、知性や向上心が高かったということが想像できるんだけど、
俺自身にも、6年という時間を与えられた時、頭には、言語を習得しよう!という強い思いが生まれた。
一獄一語の発想になったわけだ。
そうして、語学学習の教材を大量に購入し、どんな方法論で臨むべきか、どれが最も効率的なのか、机上で語学を学習するのには十分すぎる時間を持て余しながらゆっくりと考えていった。
時間は6年もあった。
そして、あっという間に6年が過ぎた(笑)
俺は一切期限を定めず、具体的なゴールも決めず、ただ漠然と、6年後に言語能力が上がっていればいいと思って日々を過ごしていた。
その結果、当然ながら言語を習得することは叶わなかった。
具体的なゴールを設定し、与えられた時間から期限を逆算していき、細かく成果を出していくべきだった。
6年という最大値で期間を設定しては、負荷が全くかからず、学習効果が高まらなかったので、もっともっと期間を短く設定し、負荷を与えてタスクの処理速度を上げるべきだった。
人間は、いや、俺は怠け者だ。
だからこそ、何かに取り組む時は、必ず期日を設けなければならない。
負荷のかかる時間設定をしなくてはならない。
やるべきことを後回しにしないために、逆算して時間を切る。
これが人生のコツであることは間違いない。
いつでもできるなんて思って、時間を垂れ流して生きてはいけない。
光陰矢の如し。
人生最期の日を知ることができないことで、日々が無限に続いていくような気がしてしまうけど、それは大きな勘違い。
一日一日が、とても貴重で限りあるものだという認識は、きっと人生をより良きものにするはず。
さて、まずは具体的に目標を定めて、そして逆算して期日を切ろう。
うーん、、、
やってないことだらけだ(笑)
ね(川≦ ° )