環境に適応した人は''ある力''を失う
初めて留置場に入った時、
その後拘置所へ移管となった時、
そして刑務所へ収監された時、
毎度のごとく、こんな所でやっていけるわけがない。長い時間を過ごせるわけがない。
そう思っていた。
一日経ち、また一日経ち、、、
と、いくら時が過ぎても辛さは変わらず、環境に慣れず、
先の見えない生活にいつ終わりが来るのか、俺は本当に外に出られるのか?
そんなことばかり考えて、嘆きながら日々を過ごしていた。
そんな俺だけど、
やはりいつの間にか環境には慣れていた(笑)
不思議なものですね。
気がつくと前を向いて無心になって生きているんですから。
刑務所内での部屋が変わろうが、作業場が変わろうが、他の人間が入れ代わり立ち代わりしようが、
必ず慣れる。
そして、ある時気がつく。
人間ってどんな悲惨な状況に居ても時間が経てば慣れるんだ・・・
あ、もしかしてこれが適応ってやつなのか?と。
きっとそう。これが適応ってやつで間違いない。
最初はアレルギー反応を起こそうとも、ストレスを強く感じようとも、
やはり一定の時間が経過すると慣れる。適応する。
俺は比較的適応能力が高いのではとの自負があるので、
それが功を奏したのか、刑務所内での評価も高いほうだった。
というか、トップオブトップだった(笑)
Ⅰ種1類といっても一般の人には通じないんだけども、
プリズンカーストの頂点だと思ってもらえればわかりやすいでしょう。
(Ⅰ種~Ⅴ種、1類~5類まであり、刑務所内での行動制限の範囲が違う)
そのおかげもあってか、仮釈放もかなり早い時期に認められたと思う。
前置きが長くなったけど、どんな状況にも慣れ、つまり環境に適応してしまうとどうなるのかってことを今回は主張したい。ズバリ、
環境に適応した人間から、革命を起こす能力を失っていく。
環境に適応するのは生きていくためだし、それはそれで素晴らしい能力なんだけども、
でも、環境に適応してしまったら、その環境に変化を起こそうとする理由を失ってしまう。
行動する気概を失ってしまう。
より良き未来へのビジョンを失ってしまう。
反対に、環境に適応できない、しない人間は、その環境に変化を起こそうともがく。
もがいてもがいてもがいて、戦う。
自分が負けるか、既存の環境を負かすかの、人生を賭けた戦いに挑むことができる。
それはとても利己的で、周りの迷惑など少しも顧みないような行いかもしれない。
けれども、いつだって社会に革命をもたらしてきたのは、現状に満足しない、
環境に適応しない人たちだったのではないか。
社会の縮図である刑務所というサンプリングされたコミュニティでもそれは同じだった。
やはり、声をあげるのは、変化を起こそうとするのは、環境に適応しきれていないはみ出したやつだった。
声をあげて変化を求めれば、それは革命の発端となる。
利己的すぎるほどに利己的に生きる人間が求める変化を社会が許容した時、
そこに進歩が生まれる。
俺は今の環境に適応しきって生きているだろうか?
いいや、不満だらけ、おかしなことだらけだ。
現状に満足して生きる?
そんなカスみたいな人生お断り。
俺は変化を求めて生きる。
革命を起こそうなんてつもりはないけど、環境に適応だけして生きていくつもりもない。
既存の環境に適応できないのなら、環境の方を変えてしまえばいい。
環境は変えられないって思ってしまうのなら、それは完全に思い込み。
どんな事象も変わりながらでしか維持できない。
目を見開いて、変化している様々なものを見なければいけない。
環境に適応できないやつは淘汰されるって?
そう考える人は自分で何も生み出せない人。
環境に依存した生き方に精を出して、淘汰されないようにしこしことしょぼい遺伝子を残していけばいいんじゃない。
俺は、例えクソ貧乏のまま何も残せず最悪な終わりを迎えようとも、
はみ出して生きる。
おかしいって言われ続けて生きる。
何かを差し出さないと、何も得られない。
俺は常識的な人生と外からの評価を差し出す。
手に入れたいものは明確だ。
新しい景色、すなわち変化だ!!!
楽しすぎる。
ね(川≦ ° )