仮釈放から2年3ヶ月経過した元受刑者の生活
塀の外へ出てから、2年以上が経過した。
月日が経つのは早いもので、2017年11月1日仮釈放当日に見たあの風景もぼんやりとしたものになってきている。
痩せ細った坊主頭で、不安を抱えた当時の自分の姿が脳裏に浮かぶが、今となってはすっかり過去の話になっている。
本当に長い長い懲役生活だった。
塀の中で夢想した理想の自分とは程遠い生活をしている現在を簡単に評価すると、
意志薄弱、ということになると思う。
理想の自分を思い浮かべ、塀の外へ出ればなんでもできる!と思っていた自分は、甘かった。
当時は、今はこれしかないから、これができないから、と言い訳を見つけては行動を起こさない自分を正当化していただけなのかもしれない。
やはり行動にしか価値はない。
思考することは大事だけど、思考だけでは何も手に入れることはできない。
塀の中だろうが外だろうが、行動できない人間が語る夢には価値がつかない。
前頭葉が働いているのなら、他人に啓発される必要なんてない。
自己啓発本なんか読んでやる気が出ているようならば、その時点で思考が停止している。
結局、自分で自分を教育し、行動していくしかないんだ。
他人の言葉で動くのなら、同じく他人の言葉でいとも簡単に動かなくなるし、根本的に自分の頭で考えてはいないので長くは続かないだろうし、カモられることも多いはず。
僕は出所してから新聞を読まなくなった。
日記を書かなくなった。
本を読まなくなった。
変わりにネットサーフィンをし、
くだらないYouTubeのコンテンツを漁り、
暇があればギャンブルに勤しむようになった。
出所してからの2年間で自分の中に蓄積されたものがなにもない。
どう考えても娑婆の方が効率的に物事を学べるはずのに、自由に自分の行動を決められる今の方が生産性が下がっているというのは明らかに怠惰。
そういう意味では、懲役生活中の自分の読書量や筆記量は評価できる。
あの頃の蓄積のおかげで助かったことは娑婆に出てきてから何度もあった。
そして今、刑務所での生活をある程度踏襲しよと本を買い、安いノートとペンを常に持ち歩くようになった。
あの頃編み出した最もアウトプットしやすい筆記のひな形をノート内に採用し、当時を思い出しながらここ数日を過ごしているのだが、
すごく心地がいい。
この感覚、この感覚!
近道なんてない。
地道に、かつ頭を使い、自らの生産性を上げ続けていくことでしか理想へは近づけないのだ。
仕切り直しはいつでも可能。
ただ、もちろん早ければ早い方がいい。
今日の自分が一番若いのだ。
ね(川≦° )