誰でも必ずお金持ちになれる思考実験の話
「お金がない」
のは、その人の自由選択の結果だと思う。
自由選択の結果?
貧乏人は好きで貧乏人をやっているわけではないじゃんか!
給料が少ないとか仕事がないとか不測の出費だとか、様々な要因が重なって貧乏にならざるを得ないんじゃんか。
誰だって、なれるものならお金持ちになりたいと思ってるし、そのために出来ることがあれば努力もしてる。
それでも貧乏なんだから、仕方ないんだよ。
果たして本当にそうなのか!
俺は、お金がないならお金の作り方、生み出し方をとことん考えるべきだと思う。
「お金がない」で思考が終わっているから、いつまで経ってもその状態のまま。
「お金がない⇨お金が欲しい」まで思考が進めば、可能性は拓けると思う。でも、まだ足りない。
「お金がない⇨お金が欲しい⇨お金を手に入れる方法を探す⇨見つける⇨実践する」と、ここまで考えれば、もうお金はあるも同然。あとはトライアンドエラーで、ヒットを打つだけ。
何回かエラーしたからって諦めてたら、またただの「お金がない」に戻ってしまう。
結局、とことん考えてまで、お金を得ようとする気持ちがあるのかないのかって話。
お金がないなら、お金が欲しいなら、どうすれば稼げるのか、どれが稼げる方法なのかを徹底的に考える。答えは確実に存在してる。してるから世の中には金持ちがたくさんいる。そこに辿りつければ、もう金がなくて苦しむことなんてないはず。
「お金がない」のはその人の自由選択の結果で、お金がない状態のままでいるのもいないのもその人の自由。
お金を稼ぐ方法を考えようが考えなかろうがその人の自由。
考えたことを実践しようがしまいがその人の自由。
そして、お金が欲しいのなら、お金を生み出す方法を徹底的に、何度も何度も考えることが必須。
これに関しては確実に答えがあるし、それも複数存在してるので、ある程度イージーゲームかと思います。
つまり、お金がない人はお金について真剣に考えていないだけの話であって、お金を稼ぐ方法を考えて実践することさえ怠らなければ、大体の人はお金持ちになれるということだよな。
ね(川≦ ° )
どうせ明日も明後日も生きているんだからさ
大病を患って、死を強く意識して生きる。
事故にあって、死を強く意識して生きる。
大切な人を失って、死を強く意識して生きる。
世の中には、何かのきっかけで死を強く意識するようになった人達がいる。
そういう人達はとても強い。決して時間を垂れ流して生きたりはしない。
自分が何のために生きているのか、後悔しない生き方をするにはどうすべきか、日々、その確認作業を怠らずに、真っ直ぐに生きている印象を受ける。
実際どうなのかはさておき、そういう人に出会うと自分の甘さというか、危機感のなさというか、時間を浪費しまくって生きていることに気付かされる。
あれ、俺、本気で生きてるか?と。
そんな時に思い出されるのは、がんで亡くなったスティーヴ・ジョブズ氏のこの言葉。
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?
これはちょっと俺にはわからんぐらい次元の高い質問で、戸惑ってしまう。
でも!この質問には答えられなくても、今日を、今を、全力で生きてたいと思うし、全力で生きてます!って言いたい。そういう気持ちはある。
それはなぜか!
今日が人生最後の日かもしれないから。
いつ死んでも後悔しないために。
あと…なんだろ。
とにかく全部違う!そういった理由ではない。
死を意識して生きるなんて、何も経験してない俺にはできない。難しすぎる。
じゃあなに?なんで今を全力で生きたいの?って考えたら一瞬で答えが出た。
だって、明日も明後日も生きてるから。たぶん。
未来に繋がる確信があるから、明日も生きてる確信があるから、俺は今日を全力で生きたいと思う。
明日も生きてるなら、今日頑張る意味あるじゃん!ね。
懲役6年6月の実刑判決を受け、獄中で一人過ごしてた時は、再び外に出られるその時が全く想像できなくて、暗い気持ちになりがちだったし、俺、一体何のために生きればいいの?意味ないじゃん。人生終わりだな。って思ったりもしてたけど、
それでも、死を意識することなんてなかった。
どんだけ苦しくても、絶望しても、やっぱ生きてたし。
今日生きてることは当然で、明日も明後日ももちろん生きてて、それが果てしなく続くのがわかってたからこそ、辛かった。それが、社会のルールを守らなかったことに対する罰だったってことかな。
それでも、なんとか考えを前向きに修正していくうちに、あ、明日も明後日も確実に生きてるから、おれは6年後に必ず外に出られるんだ。だから、その日に、今過ごしている時間が良い形で繋がるように、今できることを全力でやらないと!って思えるようになっていった。
そういう経験をしたからこそ、死を意識して今を生きることが難しくても、その代わりに、生を意識することで今を全力で生きようって発想ができているんだと思います。
ね(川≦ ° )
刑務所で学んだ情報統制のすすめ
最近頭がいっぱいいっぱいなんですが、何が原因って、世の中に溢れまくっている情報が原因!
街を歩いているだけで、目にも耳にも情報がどんどん飛び込んでくる。
街中が広告だらけってのは、もはや当たり前の風景でなんの違和感もないけど、一旦冷静になって考えてみると、ハンパない量だってことに気が付く。
そういった広告に対して、「全部無料なんだから、知っておいたって損はない」っていうふうに考えがちな気がするし、そもそも自分の頭の中に勝手に入ってきている大量の無料広告の存在に、思いを巡らせる機会自体がなかなかないかもしれない。
でも、例え無料だとしても、必要としていない情報を吸収することに時間やエネルギーを使うなんてめちゃくちゃもったいない。
何かべつの、自分の目的に沿ったことに使える資産を、無意味に減らし続けているわけだから。
それだけじゃなくて、世の中に溢れている過剰な情報に対して無防備でいると、いつの間にかそれらで頭の中が埋め尽くされてしまって、自分の中から出てくるはずの興味や関心が埋もれていってしまう。
自分が何に興味があるのか、関心があるのか、目標は何か、どんな夢を持っているのか、そういった人生にとって大切な自分自身の情報が、気付かないうちに意識の外に追いやられていく。
人生にとって大切な情報を忘れたままの状態で生きていると、なんとなく流れに身を任せる日常で、目先の快楽に飛びつき、満たされない感覚だけが募っていくことになると思う。
これが欲しい。これが食べたい。これをすればお金持ちになれる。
何か得られるような気がして実際にそれを行動に移したって、結局何も得られない。
その辺の広告に欲望を刺激されて、自分の資産を奪われて、結果残るものって、次に繋がるようなものかな?
なんかそういうのって、一回やれば十分じゃないか?
同じような欲望に駆られたときに、「あ、これ前に経験したやつだから、もう必要ないな」って思えるかどうか。前頭葉フル回転させて、自制できるかどうか。
俺は目先のお金につられて大麻を密輸して、刑務所に6年ほど入っていたけど、やっぱ当時は頭に余計な情報を入れ過ぎて、思考停止してしまってたもんな。やりたいことがたくさんあったはずなのに、いつのまにか全部忘れてしまってた。
んで、結果的に目先の欲望を満たすためだけにモラルを欠いた行動をした。本当にもったいない時間を過ごしていたと思う。
ま、俺が行った犯罪については追い追い書くとして、今日の主張はこう!
余計なものは見ない!聞かない!
そうすることで、効率よく自分の中から湧き出る興味や関心に集中できる。
その方が絶対に楽しい!だって自分の好きなことにたくさんエネルギーを使えるわけだから。
無駄なことに時間をどれだけ使ったって、無駄でしかない。無駄×時間=大量の無駄。
ほんとにね、情報統制された環境で何年も生活してたからわかるけど、余計な情報がなければ頭が超クリアになって、自分のことがよくわかるようになるし、情報に対して貪欲になれる。吸収率が高くなる。すぐにレベルが上がる!
そんな環境で生きてた俺が、外に出て、急激に大量の情報を浴びたから、一時的にアレルギー反応が起きてるだけなのかもしれないけど、この頭のモヤモヤ感は嫌だ!息苦しい!
とにかく余計な情報から遠ざかる意識づけをして、セルフ情報統制しないと、俺、また思考停止して、クズに逆戻りだな(笑)
そうならないために、ちゃんと学習してきました!だから、それを他の人とも共有できたらなって思います。
ね(川≦ ° )