どうせ明日も明後日も生きているんだからさ
大病を患って、死を強く意識して生きる。
事故にあって、死を強く意識して生きる。
大切な人を失って、死を強く意識して生きる。
世の中には、何かのきっかけで死を強く意識するようになった人達がいる。
そういう人達はとても強い。決して時間を垂れ流して生きたりはしない。
自分が何のために生きているのか、後悔しない生き方をするにはどうすべきか、日々、その確認作業を怠らずに、真っ直ぐに生きている印象を受ける。
実際どうなのかはさておき、そういう人に出会うと自分の甘さというか、危機感のなさというか、時間を浪費しまくって生きていることに気付かされる。
あれ、俺、本気で生きてるか?と。
そんな時に思い出されるのは、がんで亡くなったスティーヴ・ジョブズ氏のこの言葉。
If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?
もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?
これはちょっと俺にはわからんぐらい次元の高い質問で、戸惑ってしまう。
でも!この質問には答えられなくても、今日を、今を、全力で生きてたいと思うし、全力で生きてます!って言いたい。そういう気持ちはある。
それはなぜか!
今日が人生最後の日かもしれないから。
いつ死んでも後悔しないために。
あと…なんだろ。
とにかく全部違う!そういった理由ではない。
死を意識して生きるなんて、何も経験してない俺にはできない。難しすぎる。
じゃあなに?なんで今を全力で生きたいの?って考えたら一瞬で答えが出た。
だって、明日も明後日も生きてるから。たぶん。
未来に繋がる確信があるから、明日も生きてる確信があるから、俺は今日を全力で生きたいと思う。
明日も生きてるなら、今日頑張る意味あるじゃん!ね。
懲役6年6月の実刑判決を受け、獄中で一人過ごしてた時は、再び外に出られるその時が全く想像できなくて、暗い気持ちになりがちだったし、俺、一体何のために生きればいいの?意味ないじゃん。人生終わりだな。って思ったりもしてたけど、
それでも、死を意識することなんてなかった。
どんだけ苦しくても、絶望しても、やっぱ生きてたし。
今日生きてることは当然で、明日も明後日ももちろん生きてて、それが果てしなく続くのがわかってたからこそ、辛かった。それが、社会のルールを守らなかったことに対する罰だったってことかな。
それでも、なんとか考えを前向きに修正していくうちに、あ、明日も明後日も確実に生きてるから、おれは6年後に必ず外に出られるんだ。だから、その日に、今過ごしている時間が良い形で繋がるように、今できることを全力でやらないと!って思えるようになっていった。
そういう経験をしたからこそ、死を意識して今を生きることが難しくても、その代わりに、生を意識することで今を全力で生きようって発想ができているんだと思います。
ね(川≦ ° )